私の上を通り過ぎていったインド人たち【1】

エッセイ

キーマカレー男爵

キーマカレー男爵

ネパール国境からタージ・マハルのあるアグラという都市まで運んでくれたバスの運転手が彼だった。

その頃の私はまだ若く食欲も性欲も旺盛だったのだが、
このバスに乗った時はとても弱っていた。

ネパールの安宿で高熱を出して寝込んでいた数日間、固形物は喉を通らず生命力をかき立てるはずの淫靡なイメージも膨らまず、
ただただ「早く熱が下がりますように」という祈りをヒンズーの神に捧げていた。

熱が下がりかけたある美しい夕方、ふと、タージ・マハルを見に行こう、という考えが降りてきた。
異国で弱ると人は、偉大でゆるぎないものに触れたくなるのかもしれない。

病み上がりで宿を出て国境まで行き、イミグレを越えてインドに入った。
インド国境の町で、アグラに向かうというバスの運転席に一人の紳士が座っていた。

中世ヨーロッパの湖のほとりに建つ古城に住む男爵のようなヒゲをひと目みて「好きだ」と思った。
この人と一緒にタージ・マハルを目指したい。

タージ・マハルへのバスの旅は、2日半かかった。
およそ60時間を男爵と共に過ごした。

私はバスの最前列に陣取り、窓からインドのどでかい夕日を見たり、バックパックを枕代わりに横になったり、運転する男爵の後ろ姿を眺めたりして過ごした。

ある程度走ると、バスはなんの前触れもなく停車し、休憩をとる。

一度、男爵が食事をとろうとするので私も一緒にとった。
男爵がキーマカレーのようなものを食べていたので、私も同じものを注文した。

私は男爵に「ここはアグラ?」と聞いた。男爵は首を横に振り、「ここはアグラではない。アグラはまだずっと先だ」と目で語った。
かすかに開いた男爵の口からキーマカレーのようなものの匂いが漂った。
私はその匂いを嗅いで、やっぱりキーマカレーが好きだし、男爵もやっぱり好きだとあらためて感じた。

運転中、男爵は無口だった。
車内にはかすかにキーマカレーの匂いが立ち込めている。
キーマカレーの匂いとインドの夕日と男爵の後ろ姿は、
なぜか父親を想い起こさせた。

一度も私を怒らなかった父親。
時間をかけてカレーを煮込むのだけが取り柄だった父親。

イスの硬さと車体の揺れからくるダメージを受けた腰をさすりながら私は、
「早くアグラに着いて欲しい」と「もうしばらくこのバスに揺られてたい」の間をさまよっている。

タージ・マハル

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