ありあまる富

エッセイ

こんにちは、ヒグチです。

今となっては圧倒的な経済力しかとりえのないただのおじさんになってしまった僕ですが、そんな僕にも小さい頃には夢がありました。
それはお金では買えないものを手に入れることです。

思えば僕の人生は、お金では買えないものを探し求めてさまよい続ける終わりなき旅のようなものです。
向かいのホームや路地裏の窓、旅先の店や新聞の隅など、こんなとこにあるはずもないのに、それこそありとあらゆる場所をくまなく探し続けて、それでもお金では買えないものなんてどこにもありませんでした。

だんごやロケットえんぴつやこたつなど、一見お金では買えないふうに見えるものでも、突き詰めればお金で買えてしまいます。
この世はお金に支配されているのではないか。そう絶望しかけたとき、ふと気がつきました。
「買う」という言葉そのものが、「お金によって手に入れる」という行為を含んでいるのではなかろうかと。
そう、買ってはいけないのです。
「買う」ことなく手に入れればいいのです。
そう考えるといくぶん気分が楽になりました。

ただ、その安堵もながくは続きませんでした。
圧倒的な経済力、ありあまるほどの富、それしか取り柄のない僕には、他になにも持たないがゆえに、黙っていてもお金の影がちらついてしまうのです。
お金を使うまでもなく、お金をちらつかせるだけで充分だったのです。

犬の忠誠や猫の愛情、ミミズの友情などはどれも、お金をちらつかせるだけで簡単に手に入れることができてしまいました。

こうなるともう、「お金では買えないものを手に入れる」という僕の夢は叶うことがないのかもしれません。
ありあまる富をもつ僕の人生は空虚です。
人間というものは、死ぬほど思い焦がれて、焦がれて、焦がれて、それでも手に入らないものがあって、それを追い求めているときにこそ輝くのではないでしょうか。

ああ、富さえなければなあ。

毎晩そういうことを考えながら床についていたら、今朝起きたとき僕は巨大なカマキリになっていて、狂喜しました。
カマキリになってしまえばもうこっちのもんです。
圧倒的な経済力をもっていても、カマキリでは手に入らないものがありそうです。
ただ、カマキリの状態では円滑な社会生活がおくれないかもしれないので、
お金の力でいったん人間の姿に戻してもらいました。

夢を追い続けるために、いつでもカマキリに戻ることができる。
そう思うだけで、僕は強く生きていけそうです。

この世は道化者だらけのサウナみたいだ

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