みなさんたぶん御存知の通り、日本では選挙の投票率は、若者より高齢者のほうがだんぜん高い。
10代20代30代がそれぞれ30〜40%台なのに対し、50代60代70代以上は平均70%くらいなんだそうです。
なので、選挙に勝ちたい人たちは、高齢者の好感度を狙いに行きます。
そういえば、あんなことやこんなこと。あれやこれや。
日本の若者の未来には、知らずしらず負債が乗っかってるのかもしれません。
逆に、インターネットの世界はどうでしょう。
例えばツイッター。
ツイッターの利用者データを見ると、10代20代が70%弱、逆に50代は30%未満、60代はぐっと下がって10%に届かないそうです。
ネットでよく目にする「老害」とか「クソ上司」といったワード群と、この類のトピックに関する異常な盛りあがり。
まあ当然でしょう。単純に、相手がいない場で勝手に盛り上がってるわけで。また、「老害」サイドがこれを目にしたとして、そこで戦うメリットがない。まあ、正常な議論はできないでしょう。
前述の「選挙」と同じ考え方でいけば、インターネットの世界では、発信側は若年層に刺さるような表現、トピックを探すわけです。ネットの世界にはそういう言葉が溢れかえります。ネット上でのコミュニケーションを主軸に生きる人たちにとっては、まるでそれが世の中のスタンダードであるかのような錯覚を起こしてしまうような環境です。
選挙もインターネットも、ほんとはもっと自由闊達なものであろうとしてるんですよね。
「民主主義」「万人の政治参加」「世界の誰もがつながる場」「誰もが平等な場所」
とか言ってます。
でも実際はたぶん違う。
選挙もインターネットも、誰でも入れるフリーパスの広大な空間として仕組みの上では存在していても、実態は、コミュニティの縛りが強めの井戸です。同じ井戸の中にはやっぱり同じ種類の蛙が住んでいる。
選挙によって作られる(はずの)政治も、ネット空間も、世の中の現実を正確に映したものじゃない。
そこは内輪意識と迎合と排他で作られたハリボテの王国です。
もうちょっと、目を凝らしてまわりを見てみたほうがいい。真偽が定かではないニュースに一喜一憂するのではなく。スマホから顔を上げて。
隣りにいる人の顔や、道を歩いていて目に見える景色や、生身の人間から生の声で聞く言葉。
そういうものは、もしかしたら、国の真ん中から発信されるニュースや、スマホを通して漏れ流れてくる言葉よりも、なんか単純で薄っぺらいと感じたり、自分には関係ないなんて思ってしまうかもしれません。
自分と違うものがたくさんあって、向き合うのはめんどくさいと感じてしまうかもしれません。
でもほんとはこういうものを信じてみる努力をしたほうがいい。
あっちがニセモノで、こっちがホンモノ。分かってるつもりだったけど、知らないうちに自分の中で逆転してたりするから怖いんですよね
ぴゅう。(´ε` )
心にくちぶえ。
自戒を込めて。
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