マネージメント・パラダイス

エッセイ

腰が治るといい

年が明けて、仕事がスタートし一週間がたちました。
いきなりの5連勤は体もけっこうきつかったと思いますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
私はここ半年くらい腰が痛くて、いろいろ試してもなかなか改善されず、だったのですが、
今年に入って新たに下記の2つを試してみました。

・「坐骨イス」を購入
・夜やってる整骨院に通い始める

「坐骨イス」は、正しく座ると自然に「坐骨が立つ」というイスです。
たしかに姿勢が良くなって、腰も背筋もピンとなります。
程よい緊張感もあって仕事も捗る感じがします。
これに座り続けて腰も猫背も治って仕事も勉強も部活も恋愛も100点満点のサクセス・ストーリーが始まるといいなと思ってます。

あと、帰り道に、夜遅い時間にもあいている整骨院をみつけて、そこに通い始めました。
電気をかけて、少しマッサージをしてもらって、ウォーターベッドに仰向けになって心地よい振動を感じる、という治療をしてもらってます。
先生とのふんわりしたどこにも着地しないコミュニケーションも楽しいです。
心も体もほぐしてもらえます。

ゆかいな「ふせんワークショップ」

ところで、この「キタックCGソリューションセンターHP」のリニューアルを進めています。
その過程で、キタックCGソリューションセンターとして、「どう在るべきか」「何をサービスにしていくか」「何をサービスにしないか」といったことを年末から議論しています。

議論といっても、いくつかやり方があります。
私たちはまず、「ワークショップ」と言うんでしょうか、あるテーマに沿って各々が思いつくことや意見をいくつも「ふせん」に書いていき、それを出し合あうということをやりました。
ひとりひとり、書いたことを説明しながらばーっとふせんを出しあって、それを運営係が分類していく。
別のテーマのときも、前のテーマと同じ分類にできるものに関しては、近い位置にふせんを貼っていく。
そういうことをしながら、みんなのアイデアとそのつながりを可視化する、という方法をとりました。

ふせんワークショップの様子

やってみて思ったんですが、これのいいところは、「盛り上がる」というところかなと。
それぞれが意見を表明できて、みんなでそれをきく。いろんな人の考え方を知ることができるし、同じ考え方の人がいたら嬉しいし、「この人はこんなこと考えてるんだ」という発見もあったりで、前向きな機運も高まりやすいです。
ただ、気をつけなければいけないのは、「で、なんのためにやってんだっけ」とならないことですね。我々もなりました(笑)。

まあともかく、うまく使えば、チームで何か方向性を導きたいときに、有効な方法なのではないかと思いました。

一通りみんなでアイデアを出し合ったあとで、あとはプロジェクトチームのメンバーでそれを整理し、どのようにコンセプトとしてまとめ、設計に落とし込んでいくか、というのを考えていくわけです。
(これはこれで一筋縄では行かないのですが)

マネージメントについての所感

ここからは余談です。

昨年から私は「マネージャー」という役職を与えられ、いちおう8名のスタッフを「マネージメント」することになっています。
何をもって「マネージメント」と呼ぶのか、そこは人それぞれの考えがあると思います。
私も「マネージメント」とは、「マネージャー」とは、という部分で、それなりに苦悩しました。
その中でなんとなく思い至ったことを書きたいと思います。

「マネージメント」という概念は、「マネージメント」する人と、「マネージメント」される人がいてはじめて成立します。

「マネージメント」する人だけしかいないのに「マネージメント」という概念は成り立たないし、「マネージメント」される人しかいないのに「マネージメント」は発生しないです。
まあ、当たり前のことなのですが。

「マネージメント」という言葉を広く捉えると、「仕切ること」「管理すること」「統括すること」なんかも「マネージメント」の仲間だと思われます。
で、広く考えると、「マネージメント」する人と「マネージメント」される人、という構造は、世の中のいろんなところにみられるもののような気がするんです。

例えば、飲み会でもなんでもいいんですけど、「イベントの幹事」と「参加者」の関係。
あとは家庭内の家事や育児における「妻」と「夫」の関係(あくまで一般論です)とか。

多くの家庭で、妻=母 が 夫=父を、マネージメントしています(あくまで便宜的で通俗的な例です)。
無数にある家事を妻が把握し、とり仕切り、例えばゴミ出しや風呂掃除などの仕事を夫に与えたりします(あくまでサンプルですよ)。
夫はその仕事を、まあ、遂行したり遂行しなくて叱られたりします。
これは立派な「マネージメント状態」と言えますよね。
で、夫は職場だと、部下をマネージメントする立場だったりします。
夫は、家庭でマネージメントされ、職場でマネージメントしているわけですね。

私たちは常にマネージメントされている

こういう「マネージメント状態」というのは、職場や家庭に限らず、世の中のあらゆるところに散見されそうな気がしませんか?
先述の飲み会の幹事もそうだし、例えば3、4人の仲良しグループでも、なんとなく仕切り役がいたりしますよね。あるいは、ジャンルによってとか、順番で、マネージメントの役割を変える場合もありますね。
麻雀のときはAくんが仕切るけどカラオケはBさんが仕切るとか、今回の旅行はCさんが幹事だったから次はDくんね、とか。

要するに、ほとんどの人が何かしらマネージメントした経験があり、誰もがマネージメントされたことがある、ということが想定されます。
ただ、マネージメントされたことは全員あるはずなんですけど、マネージメントしたことがない人は、理論上、少なからず存在します。

というのも、あらゆる人間は、まず生まれてから物心つくまで、親または親に類するものにマネージメントされてます。
あと、間接的に、生まれ落ちた社会や環境にマネージメントされてます(意識してる人は少ないかもしれませんが)。
なので原理上、マネージメントされたことがない人は存在しないはずです。
反面、「マネージメントする」ほうは、そういう状況が出現しない限り経験できないものです。
さらに、「マネージメントする」という経験の量や質は、人によって大きな開きがあります。感覚値で0〜10,000くらいのレンジです。
それに対して「マネージメントされる」という経験のボリュームは、どの人でもだいたい均一なのではないでしょうか。感覚値で8,000〜10,000くらい。
だって普通に生きていれば人間は「マネージメント」されている状態なんです。直接、間接の違いはあるにせよ、親や、国や、社会や、その他いろんなものから、「マネージメント」されているんですね。

「マネージメントする」ことの経験ボリュームと、「マネージメントされる」ことの経験ボリューム、この「差」が、人間関係にまつわるいろんな問題のタネなんじゃないかと思うのです。
「マネージメント」が「マネージメントする」と「マネージメントされる」の二項対立で成り立っていて、「マネージメントされる」方はあらゆる人が同じように経験しているのに対し、「マネージメントする」経験値はある人とない人の差がとても大きい。ということは、「マネージメント」を理解するためには、「マネージメントする」経験が「マネージメントされる」経験と同じくらいないと、キツイと思うんですね。どうしても判断や感じ方に偏りが出てしまう。

まとめると、「マネージメント」を理解するには、「マネージメントする」経験ボリュームが不可欠です。
あとは、自分が「マネージメントされている」ことを積極的に知る必要もあると思います。

「マネージメント」を理解する必要なんてない、という方もいるかも知れませんが、「マネージメント」というのは、世の中の、社会生活のあらゆる局面で出てくる現象なんです。
私は誰からもマネージメントされていない、完全に独立して生きている、自由だ、と言い切れる人は、一人もいないと思います。
自分が誰から、あるいは何からマネージメントされているか、考えたほうがいいです。

「マネージメントする」経験は意識しないと増えない

話をもう少し近くに戻すと、
「マネージメント状態」を意識すること。
「マネージメントする」ときの気持ちと、「マネージメントされる」ときの気持ちを覚えておくこと。
この2つでけっこう円滑に進む場面て多いのではないでしょうか。

会社で部下に仕事をお願いして「今忙しいんで」と言われたりすごくイヤな顔をされたりして、「このクソゆとりが」と呟いた人が、家に帰って奥さんに「皿洗っといて」と言われると「疲れてるんだけどー」と返しちゃうとか。
あるいは上司のお願いにイヤな顔した人が、自分が幹事をしてる飲み会で、参加者の出欠回答が遅いことにキレたりとか。
こういうのは、ぜんぶ「マネージメント状態」として捉えて、相手の気持ちを、自分が「マネージメントしている、されている」ときの状態に置き換えて考えてみるといいような気がします。

で、上記のような、意識の置き換えができる人はいいんですけど、問題は、できない人なのかもしれません。なんでできないのかというと、「マネージメントする経験」ボリュームが少なすぎるからだ、と私は思います。
「マネージメントされる」経験も少なくて「マネージメントする」経験も少ない、ならまだバランスが取れているのですが(幼少期)、「マネージメントされる」経験というのは、ほっといても増え続けます。自然状態で、ずっとマネージメントされ続けてるんですね、ふつうの人は。
けれど「マネージメントする」経験は意識しないとそうそう増えない。「マネージメントする」経験ボリュームと「される」経験ボリュームの差は開く一方。
そうするとやがて「マネージメントされている」状態を意識することさえも忘れがちになります。たぶん。

思いを馳せる

今まで言ってきたことは、間違っているかもしれません。たぶん間違っているでしょう。信じないほうがいいです。基本的には私の勝手な思い込みに過ぎないのです。

戻りまして、自分の話をすると、職場で「マネージメントされる」状態しか知らなかったとき、「マネージメントする」人に対して、私はだいたいこんなことを思っていました。
・細かいことをうるさく言わないでほしい
・余計な口を出さないでほしい
・ほっといてほしい
・自由にやらせてほしい
・でも何かあったら責任はとってほしい
・評価してほしい

今でも、様々な局面で「マネージメントされる」側に置かれたとき、油断すると、こういうことを思ったりすることがあります。
でも「マネージメントする」側の気持ちに思いを馳せると、上記のような思考にはなりづらくなりました。
「マネージメントする」側は、多かれ少なかれ、「マネージメントする」側の気持ちをわかってほしい、と思っています。
「なぜ私がマネージメントしているのか、なぜマネージメントしなくてはならないのか」これを少しでもわかってほしい、と思っています。
なので「マネージメントされる」側にたったとき、できるだけそういうことを考えるようにしています。できるだけ、ですが。

旅行でもオフ会でも何でもいいのですが、あなたが何かのイベントの主催者だとして、「受け身ではなく前向きに参加してほしいなあ」と思ったら、それはチャンスです。
これは「マネージメントする」側の気持ちなんだ、として脳内のデータベースに一行書き加えておきましょう。
そうすると、別の場面で、想像力を働かせながら自発的に仕事ができたり、家で率先して家事や育児ができたり、選挙に行ったり、親孝行したりできるようになるかもしれません。

(今回「マネージメント」と言い過ぎて、一生分の「マネージメント」というワードを使い切った気がします。)

あなたのビジネスのWeb戦略を、ぜひキタックにおまかせください。

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