どこまでがコーヒーか

エッセイ

コーヒー

インフルエンザではなかった

樋口大輔です。ウェブの仕事をしています。

先週、発熱し二日間休暇をいただきました。お客様にはご迷惑をおかけしました。
木曜の朝、熱が出て「やばいな」と思いすぐ医者に行って検査をしましたが「インフルエンザ陰性」。
でも医師から「検査が早すぎるとちゃんと(結果が)出ないことがあるから、また熱が上がったら来なさい」と言われ、
その夜、ちゃんと熱が上がりました。38.8度。
なので翌朝また医者に行ったらまたも陰性。「インフルエンザではないんだな〜」と、医師も首を傾げていました。
ともかく、インフルエンザでもないし、治ってよかったです。今週はがんばって仕事をしています。ご飯も美味しくいただいています。

コピーを考えること

このサイトのリニューアルプロジェクトも、ちゃんと進行しています。
楽しい「ふせんワークショップ」を経て、年末には「コンセプトの策定」を行いました。

ワークショップで出てきた意見をふまえて、プロジェクトチームで各自意見を持ち寄る、というやり方です。

決めたかったのは次の4つです。

  • メインコンセプト
  • サブコンセプト(複数)
  • キャッチコピー
  • サブコピー(複数)

「コンセプト」というとどうしても曖昧な表現になりがちで、それぞれの思い描くイメージがずれてしまう可能性があります。それを避けたかったので、コンセプトを補強するもの、あるいは、別角度から言い表すもの、というか、コンセプトをよりコミュニケーション用の言葉に置き換えたものとして、「キャッチコピー」「サブコピー」を決めたかったんです。
それはそのまま、サイトに使ってPRの惹句にもなりますし、何より、誰にでも分かる「伝えるための」言葉をつかってイメージを共有する方が、いろいろとやりやすいんですよね。
今後、ビジュアルイメージの制作や、ターゲットを絞ったりするときとかもそうですし、そもそも、チーム内で仕事に対する考え方を共有する、みたいなときも、「コピー = 伝えるための言葉」はきっと役に立ちます。

私は全部で50くらいのコピーを考えて、そのうち5案くらいを皆に提案しました。
コピーを考えるのはとても楽しくて飽きないみたいです。
通勤のときとか、風呂とか、トイレとか、テレビのCMのときとかで考えてました。
皆に見せるときは、きちんと伝わるだろうか、面白がってくれるだろうか、というドキドキもあり、それもまた一興。
一番よかったのは、そのコピーを考えるプロセスを通して、会社や、我々のサービスや、スタッフに対する、多角的な見方を獲得できた(気がする)ことです。
「この言葉を選ぶとこの側面が落ちちゃう」みたいなことは必ずあって、でもその取捨選択の中で、ほんとうに必要なことはなんだろう、というふうに、絞っていくことができるんですね。

あと、若いスタッフが出してくれたコピーを見れたこともよかったです。きっと彼女も、コピーを考えるプロセスを通して、チームのことやうちの事業、未来に思いを巡らせてくれたんだと。その時間を割いてくれたことが嬉しかったです。

キャッチコピーを出し合う会

キャッチコピーを出し合う会

イメージなんて共有されていない

さっき「イメージを共有」ということをさらっと書きましたが、「イメージを共有」ってなんなんでしょうか。イメージが共有されている、とされているとき、何が起きているのでしょうか。
私は、基本的に勘違いというか、思い込みだと思うのです。イメージなんて、決して共有されていないのではないかと。

ある言語学者が、言葉というものを以下のように定義しています。
言葉は「表しているもの」と「表されているもの」で成り立っている。
例えば日本語で「コーヒー」と言ったら、表されているものは、皆がよく知っているアレで、皆の頭の中に同じイメージが描かれる。「コーヒー」という発音、あるいは文字自体には、なんの実体もない。だけど、「コーヒー」という記号で表されているもののイメージを皆が同一に描けるから、伝達できるのだ。


でも私は、この定義は微妙だと思うんですね。微妙というか、現実を正確に記述できていない気がする。
まず、文脈や場面ごとに「コーヒー」のイメージは違います。ある人はコーヒーカップに入った黒い液体をイメージするし、ある人は豆をイメージする。ある人は行きつけのスタバの可愛い店員さんを思い描くし、しりとりで出てきたらただの語の並びに過ぎないです。
「コーヒー」でスタバの店員さん、というのは無理がある気がしますけど、例えば、3人の男子高校生グループがあって、たまたまスタバに入ったとします。で、ものすごく可愛い店員さんがいた。みんなコーヒーを飲みにいくというより、店員さんに会うためにスタバに通うようになる。いつしか3人の中で、「今日部活終わったらコーヒーどう?」という会話が交わされるようになる。そうなった場合「コーヒー」=「スタバの可愛い店員さん」が成り立つ気がしませんか?

つまり「コーヒー」という言葉が表すものは、一つではなくて、ものすごく幅広い。いろんな使い方ができる、ということです。

どこまでがコーヒーか

あと、「どこまでがコーヒーか」という問題もあります。
大きいコーヒーカップに入ったホットコーヒーがあります。これはまあ、コーヒーですね。(いや、これはでかいコーヒーカップだ、とか、空気だ、とかいう意見もありますが今はいったん考えないようにします)。
ここに、水を注いでいきます。どんどん注ぎます。水は、もとのコーヒーより多くなっていきます。色も薄まっていきます。どんどん注ぎます。
さて、こうやって水を注いでいく中で、どこまでがコーヒーと言えるのでしょうか。そしてどこから水になるのでしょうか。
まあ、正確には定義できないわけです。境界が分からない。

これは、「コーヒーって何」という問いに行き着きます。結局コーヒーの定義が必要になるんですね。でも正確な定義をしようと思ったら膨大な時間がかかる。人間の営みの中でいろんなデータを集めて、「これはコーヒー」「あれはコーヒーではない」というふうにやっていくしかない。

でも私は毎日コーヒーを飲む

「コーヒー」ひとつとっても、その言葉で同じイメージを描いている保証はないし、「何がコーヒーか」という定義は曖昧です。
ましてや、立場によって見え方や感じ方が違う仕事の話とか、抽象的な議論でイメージの共有、というのは、まあほとんど無理なのではないかと。
われわれは、「完全なイメージの共有は不可能」というところから出発しないといけない。

じゃあどうするか、ということなんですけど、「それぞれがイメージしていることをできるだけ正確に記述して、出し合って、そこをすり合わせていく」というようなことをやる必要がありそうなんですけど、
長くなってきたので、この先はまた次の機会に考えてみたいと思います。

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