トランプに花束を

エッセイ

トランプに花束を

私はアメリカのトランプ大統領があまり好きではありません。
「トランプを好きなやつなんているのか」とさえ思います。
でもトランプのことを好きな人はもちろんいます。
たくさんいます。
私が個人的にトランプのことをあまり好きではないだけです。

でも。
例えば、トランプが何かの式典に招待されていて、私も何かの間違いでその式典に出席することになったとします。
そして、さらなる何かの間違いで、私がトランプに花束を贈呈する役割になりました。
私は花束をトランプに渡すでしょうか。

渡すでしょう。
半笑いではあるにせよ、まず間違いなく渡すでしょう。
滞りなく任務をまっとうすることでしょう。

だがしかし。
メキシコ移民ならどうでしょうか。
トランプに追い立てられ家族と引き裂かれようとしている移民だったら、「トランプに花束を渡す」という役割をまっとうできたでしょうか。
そうそうできないんじゃないでしょうか。
花束どころかつばを吐きかけかねない。

人の怒りを笑うな

同じようにトランプのことが好きではない、私とメキシコ移民の差はどこにあるのでしょうか。
言うまでもなく、怒りと憎しみのエネルギーの大きさが違います。

私はトランプのことが嫌いだけどそこまで憎んではいない。
なのでトランプを目の当たりにしても、たぶんTPOをわきまえて行動できる。

でも移民はそうではないんですね。
排斥されていて、迫害されていて、直接やられている。生活や人間関係をボロボロにされている。
そういう人は、当然ですけど、まあ、理性で怒りを抑えられないですよね。

話変わって、私にもやはり、許せない人がいます。メキシコ移民にとってのトランプのような存在がいます。
でもそれは、私にとって許せないだけで、他の人にとっては許せます。それは当然です。怒りのエネルギーが違うのです。
怒りのエネルギーの違いは、

・当事者かどうか
・真剣に取り組んでいる部分かどうか

という二点に影響されます。たぶん。

自分が、直接侮辱されたり、何かを損なわれたりしたとき、相手に対して憎しみが湧きます。当事者だからです。

そして、その「何か」が、自分にとって大切な領域だったり、真剣に取り組んでいるものだったりすると、怒りは増幅します。

「ソフトクリームはバニラかチョコか抹茶か」みたいな議論をふっかけられて「チョコとか言ってる奴とは二度と話したくないし生理的に無理。そもそも口臭いし」とか言われてもぜんぜん気になりません。

でも、人生を賭して、例えば妻子あるのに42歳で脱サラして「チョコ専門のソフトクリーム屋」を開業した人に、先の言葉は危険かもしれませんよね。

でも、チョコソフトのおじさんとか、メキシコ移民が、本気で怒ったとき、当事者でない私たちが、その怒りを笑ったり、「大人になれ」とか言って、なだめたりするのは、違うと思うのです。

社会生活では、怒りたいとき、憎しみがある地点を越えそうなときに、「まあまあまあ」とか「怒ってもしょうがない」とか「ここは大人の対応を」とか言われる場面がとても多いです。

それはわかる、私にも理性はある、怒ってもしょうがないのは分かる、でも、ここで私が怒るのは私にしか分からない理由がある、それは分かってくれ、いったん怒らせてくれ。と言いたい。

知り合いで、国会中継をみて、国会議員が寝てたり無駄な答弁を繰り返すのに本気で怒り続けている人がいます。
税金が使われて選挙ではさんざん耳触りの良いことを言っておいてこのていたらく。
その人は「自分が被害者である」ということをはっきり認識しています。
これは想像力の為せる技だと思います。

これを半笑いで「まあまあまあ」となだめたり、「そんなのにいちいちキレてないで楽しく生きよう」というのも、アリ、というか処世術だとは思いますが、怒っている人を笑う資格はないんじゃなかろうか。

人の怒りに直面した時、当事者でなくても、人の怒りに思いを重ねられる想像力があればあるほど、そうかんたんに動けなくなるはずです。

まあいいか。

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