22歳くらいのときにちゃんと働き始めてから、ずっともやもやしてるんです。
会社で仕事をし始めて、お金を稼ぐこと、利益を出すことに触れ、「そうか、これがビジネスの世界か」と感心しながら、先輩にいろんなことを教わってどうにかこうにかやってきました。
で、ビジネスの世界に触れて、その世界での原理原則とか、ルールとか、そういうものを見てきました。
そういうビジネスルールで一番言われることとして、こういうのがありますね。
「結論を先に」
「とにかく分かりやすく」
これがとにかく苦手でした。今でも苦手です。そしてそれがビジネスをする上での私の致命的な弱点です。
お客さんや偉い人に提案したり説明したりするときに、うだうだうだうだ話してるとその人は十中八九そっぽを向いてしまいます。
「で、一言でいうと結局なに?」となります。つらい。
本の世界はこの逆なんです。ビジネス本やハウツー本は置いといて、文学って言っちゃうとちょっと高尚っぽくなってアレなんですが、小説、物語ですね。
結論を先に述べる物語はつまらないです。
「犯人はコイツ。殺人の動機はコレ」(古畑任三郎は別として)
「戦争はよくない」
「人を殺しては駄目」
「人に優しく」
商業色強めのTVドラマや映画などの物語は最初から言いたいことが出ちゃってるのも多くありますが、小説の場合、上記のような結論めいたものから入るものは、ほとんどない。あったとしても、それは一種の仕掛けです。
小説の大きな役割の一つに「既存の価値観を揺さぶる」と言うものがあります。物語を読んで、考える。自分が信じてきたことが、「あれ。もしかしたら違うかもしれない」となって揺さぶられる体験が、読書の真骨頂です。
「なぜ戦争はよくないのか」「なぜ人を殺しちゃいけないのか」「優しさってそもそもなに」
そういう問いを発することが出発点になります。
そういう問いから出発して、物語の形をした複雑な経路をたどって思索しながら、答えらしきものにちょっとだけ触れる、読書はそんなような体験です。
当然、分かりやすく、一言で説明することなんてできません。
ある程度本を読むと、たぶん多くの人が「絶対なんてものは存在しない」という考え方になります。そして、あらゆる物事を断定できなくなります。過度に「分かりやすい」ものに嫌悪感を抱き、偽物の匂いを嗅ぎとってしまいます。(私だけだろうか…)
ビジネスの場で求められる「結論を先に」「とにかく分かりやすく」というセオリーを追求するのが、感覚的にしんどくなってくるんです。
ぴゅう。(´ε` )
ビジネスの現場と本読みの感覚の乖離について書いてみました。それでもなんとか折り合いをつけてやってくしかないですね。
ほんとうのことは、たいてい分かりづらくて、簡単には結論づけられないものだと思うんだよなあ
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