サッカーに「ガマンの時間帯」ということばがある。
相手に攻め込まれながら必死に守備をして、なんとか耐えている状態。
そして、「ここを乗り切れば、あとできっと自分たちのチャンスが訪れる」という希望のニュアンスが、このワードには含まれている。
「ガマンの時間帯」は、いろんな分野に存在するのではないか、と最近思う。
こう思えるのは、アラフォーの余裕みたいなものかもしれない。
(そうやって自己肯定するのも、アラフォーの深みかもしれない)
例えば、一番オーソドックスな例で言えば、仕事。
よく、仕事が面白くなるのは十年くらい続けてから、みたいな物言いがあるが、ここには多少、真実が含まれているような気がする。
どんな仕事でも、それを覚える時期はどうしてもあって、それはガマンの時間帯。
学んで、試行錯誤して、習得して、といったガマンの時間帯を乗り越えると、自分なりに工夫できるようになって、少しずつ全体をコントロールできるようになると、わりと楽しくなったりする(こともある)。
そして、読書にもガマンの時間帯がある。これはほんとにそう。
特にミステリー小説が顕著である。
全部とは言わないが、前半の半分とか3分の2くらいは、進行もなだらかで(伏線は張られてるのだろうが)起伏がなく、「これいつ面白くなるんだろう…」と思いながら読み進めることになる小説はけっこう多い。
読み慣れない読者なら、「これ面白くない」と言って投げ出しかねない。
が、「ガマンの時間帯」を知っているアラフォーの本読みは、投げ出さない。
ここでガマンすれば、後半で怒涛のエンターテイメントの雨を浴びられることを、経験的に知っているからである。
しかもガマンの度合いが大きければ大きいほど、得られる報酬は大きい傾向にある(相対的に)。
もちろん、作者を信じることは大事だ。信じてガマンする。そうすればきっと報われる。報われないガマンはない。
ぴゅう。(´ε` )
「報われないガマンはない」
そんなわけはない、という反論があることはもちろん知ってる。
知ってるが、すぐに報われなくても、長い人生のどこかで、あなたのそのガマンは報われるのだ。そう思っておけばよいのだ。それでいいのだ。バカボンのパパはかっこいいなぁ。
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