子どもの頃、駅が好きだった。歩いて20分くらいのところにある小さな駅。
そこから小さな電車に乗って、隣の町に行く。
あるいは、小さな電車から大きな電車に乗り継いで、何本も駅を越えて、見知らぬ都会に出かける。
そういうことを夢想するのが好きだった。
あの駅はもうない。
昨日、消えたのだ。
鉄骨の下敷きになって、私の小さな心臓が動きを止めてから、ちょうど五十日がたった。
心臓が止まっても、人はすぐには死なない、ということを知ったのは、心臓が止まったあとだった。
心臓が止まってからも私は、この町にいた。
新鮮な空気を吸って、散歩し、道端の草木を眺め、時にはあの駅から電車に乗った。
やがて、電車に揺られて駅をまたぎ、見知らぬ駅で降りるのが日課になった。
五十日目に、あの駅が消えた。
あとから知り合いにきいたところによると、肉体が亡くなって五十日後に、その人のいちばん大切な乗り物が消えるのだそうだ。
その人は自転車でどこにでも出かけていく人だったから、自転車が消えた。
ある人からは車が、またある人からは最寄りのバス停が消える。
つまり駅は「私の世界から」消えたのだ。
駅がなくなって、私は町から出なくなった。
ゆっくりと、日々、同じ通りを散歩する。
ほんとうにゆっくりと歩く。止まりそうなくらいゆっくりと。
そしてその歩行速度に合わせて、私自身も、ゆっくりと消滅していく。
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