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股旅ラララ

#1 バンコクでラララ「初夜」

2021年09月01日(水)

PV 259

こんな話がある。

青年は、鬱々としていた。大学を出て念願だった東京の出版社に就職したものの、仕事が楽しくない。このままだらだらと老いていくのが怖い。それで、仲間と金を貯めてドロップアウトし、沖縄でゲストハウスを開こうと計画した。彼が師と仰いでいた、長野の山奥で暮らす当時45歳のアメリカ嫌いのアメリカ人に相談したところ「お前たちはまだまだ青い、日本のことも旅のことも人生のことも何も知らない。旅をしてもっといろんなものを見ていろんなものに触れろ。ゲストハウスを開くのはそれからでも遅くない」と言われた。それで、彼と彼の仲間とアメリカ人は、貯めた金で中古のキャンピングカーを買い、日本を旅することにした。京都を出発しぐねぐねと蛇行しながら進んだ車は、5ヶ月後、北海道の真ん中、富良野にいた。そこで3人は解散。別々の道を辿ることになる。

一人になった彼はその後、北海道をヒッチハイクで周り、苫小牧から船で茨城県の大洗へ。安宿を転々としながら南下していき、名古屋から船で沖縄へ。沖縄のゲストハウスに転がり込み、住み込みで働かせてもらうことに。宿の仕事をし、給料が出ない代わりにドミトリーのベッドとごはんと泡盛が与えられた。泡盛の一升瓶を囲んで宿泊客と過ごす時間が好きだった。日本人も外国人も、地元民も、世捨て人のような人も、そこには集まってきた。

2ヶ月くらいたって、ようやく彼は決心した。「仕方ない、旅に出よう。ここを出よう。外国に行こう」ここは居心地がいいけどいつまでもいられる場所じゃない。

所持金は60万円くらい。長く旅するには贅沢できないからスタンダードにアジアで貧乏旅行だ。

成田 – バンコク の、帰りの日を決めないオープンチケットを握りしめ、天国のような沖縄の宿を後にして、青年はまたしても東京へ向かった。

「股旅ラララ」では、彼が歩いたアジア7カ国の路上で見た景色を、ピントが合っていない、ブレブレの写真とともに追体験してみる。

これは、当時そこら中に転がっていた、よくあるふつうの話だ。

でも、まだ世界が自由だった頃の話だ。

ナリタ

バンコク

タイ航空の機体はなんとか空を飛び続けて、夜中にバンコクに着いた。夜の空港は静かで、異国で独りの不安が掻き立てられる。バックパッカーの聖地、カオサンロードを目指してバスに乗る。たどり着くかどうか不安だったが、たどり着いた。よし、賭けに勝った。運がある。

夜のカオサン。道端に座り込んで飲み明かす旅行者。たまに不良外国人の奇声があがる。おそるおそるゲストハウスを探して、おそるおそるチェックイン。おそるおそる部屋に入ると、すごく簡素なベッドと毛布と蛍光灯があった。共同の水シャワーを浴びて寝た。これからタフになっていかなくてはならない。ダニの洗礼を浴びて、身体中が痒い。こういうのにも打ち勝っていかなくてはならない。

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