みなさんにも、自分にとっての「かけがえのないもの」が、それぞれあると思う。
私にもある。私にとってかけがえのないもの、それはパンツだ。
パンツ無しでも生きられる、という人もいるかも知れないが、私には無理だ。パンツがないとだめだ。
白い木綿の、ふわふわのパンツ。これがないと、私はわたしではいられなくなる。白い木綿の、ふわふわのパンツを履いていない私なんて、老いぼれた水牛のようなものだ。日がなモーモー鳴くことしかできない。(水牛の鳴き声ってモーモーでいいの?)
白い木綿の、ふわふわのパンツだけが、私にとってかけがえのないものかと言うと、そうではない。
実は豆腐も、私にとってはかけがえのないものなのだ。「豆腐は冷奴に限る」と言い張ってきかない人を、私はひそかに軽蔑する。湯豆腐もいいし、煮込みに入っている崩れかけの豆腐もいい。醤油、キムチ、ネギ、納豆。誰とでもすぐに打ち解ける。そんな屈託のない豆腐も、私にとってはかけがえのないものだ。白い木綿の、ふわふわの豆腐。豆腐みたいに私はなりたい。
と、ここまで書いてきて、ヨーグルトがこの世から無くなっても私はわたしでいられなくなるんじゃないかと思い至った。ヨーグルトは尿酸値を抑制する働きがあるり、フルーツにかけると美味しく、スプーンで手軽に食べることができる。3拍子揃っている。白い木綿の、ふわふわのヨーグルトだ。
結論、白いものがなくては、私は老いた水牛なのだ。モーモー鳴くことしかできない(水牛の鳴き声ってモーモー?)。そんな私なので、オセロだけはやらないことにしている。近所の悪ガキどもにせがまれても絶対に付き合わない。自分が白組だとして、白が黒にひっくり返されるときの切迫感、あれも嫌だし、自分が黒組だったらそもそも勝つ意欲を失う。私は白いものに囲まれていたいのだ。
だから今日は帰って歯を磨いたら、おばあちゃんとはさみ将棋をする。はさみ将棋には自信があるのだ。
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